今日は利用者さんや相談支援の方と
話す機会が沢山あった。
あーなんだか、
現状が変化していくという自覚をしたからか
さらに、目の前のことの情報をキャッチしていく
感覚がある気がしている。
なんだろうか、本能的に、楽しくなっている。
支援というものを考える事が。
そういうタイミングなんだろうか。
6月で4年が経ったから、ある程度積み重ねてきたと実感できるタイミングが丁度最近なんだろうか。
感覚は社会人になってから
10年目なので、それだけ対人を観察するという
目は育っていると思っているが、
それに言語が加わったのは
やはり、大人と関わり始めてからだと思う。
言葉でのやりとり、
言葉での確認、
言葉での説明。
イメージを言葉で説明する
相手のイメージを言葉で汲み取る
そういうことの難しさを
今の事業所、そして寺子屋、その他の情報や経験から学んできたんだろうな〜と感じている。
今日は社内研修があったのだが、
テンションが上がってしまうほど面白かった。
ボキャブラリー増えました🤞
私のアンテナとしては、
他者の行動を問題視するというアンテナが
鈍感であると思っている。
自分の気持ちのモヤモヤに対しての対処は
割とスムーズにできるようになっている。
他者の気持ちのモヤモヤが見える形になった時(相手が話をしてくれて自分が聴いている時にどうしたらいいですかと聞かれた時)は糸口がすぐに見える事はある。
が、それをそのまま伝えない方がよいだろうな…それを伝えてもどうせ伝わらないよな。
という思いが大きかったな、と今日は実践の中から気付きました。
あと、そこまで他者の事に
関心を持てていなかったor持たないようにしていた
のかもしれないなと思いました。
その根本は
自分が自分の機嫌を取るという壁が大きくあったから。だと考えています。
他者を考えているどころではなかったか。
引っ張られるものが沢山あったか。というところか。
それでも、今日はなんだか、
まとまって話を聞く事ができて、
話の内容を分解して聴くことがちょっとできた感じがしました。
聞いて欲しいことのおおまかな話
その中の受け止めて欲しい気持ち
その中の相手の方のモヤモヤの原因
を分解して言葉に解説するんだな、と。
で、最終的にこちらが受け取った話の全体の状況の整理をして
相手にこちらの話の認識が合ってるかを確認する。と。
まとまりました🤞
そこに良いも悪いも入れず
本人もまわりも攻めないということですね。
ただその現象になる事の何かを次回から改善できそうな行動ができるのであれば、
その環境的な原因を探れば良いし、
それが人による原因だとするならば
それをなぜそう思ったかの当人の根本の感情を探って言葉にして表す。
それでいいよね?
ってことかな?とちょっと楽しくなってました🤞
"こういうことって問題行動ではないか"
"○○さんのこういう事の対応はどうしたらよいか"
と言葉で言われて初めてその人に対してフォーカスができるなと思うこともある。
問題を問題として認識できる部分が鈍感である、
とも言えるか。
割と明確に問題として言葉で上がってくると
あー、そうか。じゃあ気にしてみよう。
とそちらに目が向くという感覚。
なんとなく日々そういう言葉は出ているが
それを問題としてまでは上がってきていないと
まーそういう事もあるよね、って見てるんだな。
という鈍感さがあるな
という受け取りが発見でしたね。
だからのほほんとしていられる部分も大きいんですけどね◯
だから、人とやるって事が大きいんですね◯
言語で説明する機会が増えているから
説明できるボキャブラリーを増やすという事を
無意識にしているのかもしれないです◯
ただ本は読めません(笑)
それについては
感覚の記憶(イメージ)は耳から記憶している気がします。
目の記憶は頭に記憶されている感じです。
あ、そう多分
発見です。
名前を覚える時には名前の字を見ないと
覚えられないんですよね。
言葉の表現は
常に耳から吸収して音を覚えないと
出てこないかもしれない。
(いや、こちらは興味のある表現に限る。)
言い方の正しい人の言葉を聞いても
コピーはできないから。
あ、でもそれはコピーしなきゃいけないって
頭に記憶しようと思うからだね!
なので、
感覚的なことの記憶は、耳から吸収している
何かを意識的に記憶したい場合は
視覚的な記憶を選んでいる
んだ、という発見ですね。
はー今日も長くなっちゃった。
すごい、大発見の日々です。
あーたーのしいです。
ちゃんと意味のある4年積み重ねてたー。
今日も、一歩。