日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎ここ数ヶ月の変化

 

日々変わっていて

同じ日はない。

 

この瞬間で世界はまた変わっている。

 

なるほど。

 

ここ数ヶ月で

私の中でやらないとしたもの

やるとしたものに

わかりやすい変化があるなと感じる。

 

 

やらないとしても

やる時はあるんだが

今徐々に減っているものもあれば 

それに伴って以前よりもさらにエネルギーを注げているものもあるなと感じる

 

 

様々な雑務を進めることは

私はエネルギーが分散される

 

人に関わりたい

人の支援

人の働きやすさ

人の心のケア

 

人に携わる仕組みを考えたり

適材適所を考えることが

何よりも楽しく

淡々と業務をこなすことは

自分の仕事ではないとすら思う節がある。

 

 

お金の計算

スケジュール管理

外部とのやりとり

書類の整理

 

これは最近全部周りにお願いしている

 

自然とそうなった

できてないことが多いから

無理にやることではないと思った

 

乙女座や個性心理学狼は経理やスケジュール管理が得意と言われるがそれについては全く今の私には当てはまらないのである。

 

嫌いではないけど

結局その仕事だけではないから難しいんだろう。

 

全てがタスクをこなすだけの仕事なら多分やっている。

人の心を汲み取らなくても1人で淡々とやっていける立場なら多分やっている。

  

その時その時の選択を繰り返しているのだろうと思う。

 

 

 

大きくこの3〜4ヶ月で、

その前の状況には戻らないんだな

と、"同じに戻る感覚"はなくなっている。

 

日々変わっていると言う言葉のように

"前の時には戻らない"

変化をし続けていると認識できる時

 

それだけ流れが早く

目に見える世界の動きが変わっているのだろうとも思う

 

同じように見えていた時もあったから

最近は特にやっぱり変化が大きいのだろう(わかりやすい)

 

人との距離感

自身の違和感

社会的ルールの基盤のズレ

 

個人幻想

対幻想

共同幻想

 

この辺の違和感に気付きやすい気がする

それで何かやっぱり違和感に従って

行動が変わるところはあるので

バランスを見てる感じがする

 

誰も何も悪くはないというのも

分かってはいる

 

でも納得しなければ進めない性なので

こどもたちもなぜ納得しないと進めないのか?

私の特性を見るようにこどもたちの特性を見ている方が何よりも勉強になるし、自己理解に繋がる。

 

 

何かを成すことが良いことでもないのかもしれない

でも日々目の前のことに誠実に取り組む

成すことが目的ではない

でも目の前のことを取り組む

 

誠実に取り組むと決めてやる

ただやる

何もしないもまた取り組み

何もしないを取り組み続けることはまた難しかったりもする

 

意味はない

意味をつけているだけ

価値はない

価値をつけているだけ

使命はない

ただ与えられている役割を果たすだけ

葉っぱの一枚に過ぎないから

 

つけているから納得して進める

取り組める

つける個人の理由があるからつけている

 

 

できない状態があるだけ

できる状態があるだけ

 

連続しているように見えているだけ

今があるだけ

 

 

  

 

 

今日も一歩。

 

 

◎沼。またまた抜け出せない。

 

 

自分の中の変化なんだろうが…

人と関わりたくなくなっている。

 

もう2ヶ月くらいか。

 

最近はなお、

なんだか話せなくなる。

 

年々苦手な人が増えている。

今まではそんなことなかったんだけどなあ。

思い込みだろうか。

視野や柔軟性が狭くなっているのだろう。

 

 

人への意識が向けにくい

今この場にいて

なんとか話すことで精一杯の感じにのまれる。

 

 

誰とも会いたくない。

いや、特に仕事関係は、である。

あっても利益とかない対等な関係性なら全然楽だ。

  

 

付き合いで会うが、

段々とできなくなっている。

生理的に無理になっている。

それをやる意味がある?ってなっている。

 

 

付き合いでご飯に行かなければいけない意味。

作り笑いをして

愛想笑いをしなければいけない意味。

相手の話をヒアリングしなければいけない意味。

 

 

嫌でも評価される目。

ジャッジされる目。

 

 

そう思ってしまうのだろう。

 

 

だからめんどくさい。

 

 

時間に遅れれば信用もなくなる。

お金だってある中でなんとかしないといけない。

 

 

何も習慣が戻らない。

あらいものと洗濯物が

一瞬で山になるのはなんで。

 

 

ずっと休みならいいのに。

3ヶ月くらい何もしたくない。

本当に何もしたくない

 

 

学びなんてやってる余裕ない。

学びたいとかも最近1ミリも思わない。

 

  

今日目覚めて

ただ一日生きてるだけでしんどい。

  

  

ぼーとしてたい

風鈴の音聞いて

ぼーとしてたい

ソファに横になって

 

  

美味しいもの食べて

美味しいお酒飲んで

ただ落ち着く人と一緒にいたい。

 

 

なんで無言の圧力だったり

その場の雰囲気なんか読まなきゃいけねえんだよ

 

当たり前に同じ場所にいるわけじゃなくて

日々そこでそれをする選択をそれぞれがしてるから続いてんだよ

当たり前じゃないし

 

今年はなんかそんな年なのか。

ただの幻想か。

いや、酒の飲み過ぎで腸内が荒れてるんだろう。

だから情緒がおかしいのだ。

一回全部リセットしたい。

 

 

 

やってても、やっているように評価なんてされないんだから。

職種によってなんでこんなに給与の差が出るのだろうか。

入る人にも格差ができるのは当たり前の話では。

 

 

それでも一緒に働いてくれている人への感謝。

だがそこにあぐらをかいていていいわけではない。

 

お金があればもっと楽に生活できるのかなあ。

結局勤務時間取られてれば

そんな話もない。

対価なわけで。

でも削らなきゃ得られないなんて冗談じゃないよな。

 

 

 

 

なんのために働いているのだろう。

福祉なんて、保育なんて、

見方を変えたらサービスと言う言葉で労働力を搾取されているようなものだ。

 

 

いいなあ、臨時ボーナス。。。

お金だろ、どうせ、もう全部。

腹立つ。

世知辛い。

 

だが、もらってるところはもらってるのだから

やりようはあるはず。

 

楽に生きたい。

性格的に楽しくは生きられない。

   

  

レタッチが進まない。

家にいると横になってしまう。

何もやりたくない。

誰とも会いたくない。

仕事も行きたくない。

ずっと休みたい。

何もしたくない。。。

 

 

 

 

はーーーーー休みたい。

誰にも会いたくない。

何もしたくない。

 

 

金曜日から毎日誰かしらに会う予定を断らないからまたこうなる。

しんどい。。。

 

 

 

あーーーーーーーーーーーーー

寝てたい。

家にいたい。

 

 

 

 

 

今日も、一歩。 

 

◎成長しない自分。

 

 

気持ち悪い…飲みすぎた。

飲みすぎたというか

ペースが早かったのだろう…。

 

  

二日酔い。

久々だ。

午前中から仕事しようと思ってたけど

だるすぎて

今から施設まで歩いていくのか…

と思うと気が遠くなる。

 

 

今週は監査だ。

夏休みの宿題をギリギリまでやれない特性が

ここへきても変わっていない。

 

テスト週間になると

映画を観てしまう特性が

全然変わっていない。

 

 

できないことはできない

ギリギリになって追い詰められれば

ギリギリにやる。

 

 

こればかりはね

どうしようもできない。

 

 

 

やれと言われても

絶対にやりたくない情緒に2〜3時間も

振り回されることも

小学校から全然変わってない。

 

 

 

 

常に綺麗に保つなんてできないし

なぜなら目の前のことに必死で生きてるからだよ。

 

相手の情緒とか

空気とか

安全管理とか

タスク以外のことに気を張ってるんだよ。

 

 

それを業務的な面だけで

評価されたり

美点凝視という言葉があるのに

最近はできていないところばかり指摘されている気がしている。

 

お互い様、おかげさま。

 

 

私も今一度心掛けたい。

今試用期間の職員は場面緘黙である。

 

 

認知が歪む。

現場でコミュニケーションがとりずらい。

 

一見それは働くには値しないとも

言われるだろう。

言葉だけ見れば。

 

言う気持ちもわかるが、

ここで働くという固い意思をもって

取り組む人も必要なのではないか、と。

 

 

スキルなんて

誰も別に大したことない。

 

 

全ての能力が長けてる人なんて

いないじゃない。

別に誰も大したことないよ。

  

 

ちょっと業務が早くできる

タスクが多くできる

事務仕事ができる

 

それがスキルが高い人と決めつける文化にもイラっとする。

 

人への対応は?

教育面の伝え方は?

状況を見てバランスをとる力は?

安全管理の意識を向けていることは?

 

結局、見えてるものだけしか見ないんだなと。

 

 

自分も、人も。

浅はかだなと。

 

 

自分の業務がいっぱいいっぱいになれば、

自分はこんなに頑張っているのに

と、

人よりも頑張っていることをアピールする。

 

 

まわりが頑張ってないとでも?

 

お互い様、おかげさまとは?

 

 

こちら側もまた

改めて人間性を磨いていかないといけない。

 

空白があれば毒が出る。

まわりも誰もそれは聞きたくないよね。

 

 

それに乗らないところは

素晴らしいなあと、羊さん🐏たちを見ていて思う。

 

 

自分もどこかで

"頑張っちゃった"んだろう

 

 

別に手は動いてないけどね

やることの1/10もやれてないんだけどね

まあさもう生きてるので精一杯だから

 

 

いいんだ

プラスαをやっている余裕はない

 

酔っ払ったら

身体も言うこと聞かないもんね

 

 

元気であるって

ありがたいわあ

 

 

さーもうお昼になる

あと数時間で私は監査までに何ができるのか🙃

 

 

  

  

あーだるい

あーめんどくさい

あーなにもしたくない

 

 

 

何も頑張りたくない

動きたくない

頼まれたことなんて1ミリもやりたくない

 

 

そんなポンコツ

 

 

 

素直に努力というものが

できないんだよなあ

 

 

なぜ頑張らなきゃいけないんだ

 

って気付いちゃう。

 

 

誰のためにも

頑張れない。

 

 

回避行動なのか? 

 

 

ははは

 

 

 

ぜーんぶもう

やめたらいいかなあ

 

 

 

 

今日も、一歩。

◎旅に出る。家族旅行

さて、6月も下旬となりました。

 

ここまでで

習慣が全く整ってない6月。

 

そして、

情緒が狂ってる6月。

 

でも、いい。

なんかそうしたいんだろう。

 

また戻っていく、

そのうち

意識が今目の前に

 

とりあえずそれは今日かもしれない。

 

 

家族旅行に出ている。

場所は仙台だ。

 

 

台風?

地震?

来るかもしれないね〜〜〜

 

 

母とおばあちゃんの関係性もあり

うちの実家も今アンバランスで

保っている様子だ

 

 

母の手術後の経過は無事に

元気に過ごせている

 

「会いたい人に会おう」

と、思ったようで

長年母の文通相手に会いに仙台にいくことになった。

 

 

弟と父がお誕生日なので

そのお祝いを含めての家族旅行だ。

 

 

私も別に忙しいとは言いつつも

そんなにやることが沢山あると言うよりも

それより情緒が先走っているので

全く目の前に集中できないから

雑念をかき分けて取り組みながら生きてる

 

 

思考だけで疲れている毎日だ。

ありがたいことに夜は1秒で寝てる。か、

ソファで寝落ちだ。

 

 

まあ、いい。

夜の晩酌は最近はワイン

それに合うつまみを作る事が最近の楽しみである。

 

 

天中殺という時期

それもあるのか

上限と下限のリミッターが外れてる感じする

 

今にも崩壊しそうな

今にも逃亡できそうな

今にも破壊的になれそうな

今にも跳び立ちそうな

 

 

そんな危うさと開放感の中にいる

 

 

 

まあ、なんとかなるだろう

 

 

そんな感じだ

 

 

あとは誰にでも別に自分の素を見せたって

別にどうってことはない

と言うこともなんか体現している気がする。

 

 

しんどいことはやらない。

無理に頑張らない。

気になったら確認する。

話したかったら話す。

 

 

ありがたいことに

それを否定される環境は今はない。

 

 

だからそれもそれで今はそう言う時なんだろうなと思う。

 

 

その中で社会性

30代としての品格を保って

生きていたい。

 

 

人には人の苦手さがある

それをバランスの良い形にしようという

気もなくなっている

 

 

数秘が4番なので

私はあまり遊び心がない

でも改善心は豊富だ

 

遊び心は3番

だから

3番を持っている方の柔軟さや柔らかさ、軽やかさには本当に助けられていると感じる。

 

 

それをサポートし、

型を作っていくのが4番の役割である。

 

 

そしてその型を

もっと自由にぶっ壊して一体に広げていくのが

5番。

 

 

改善をし、型を作り、ぶっ壊す

私はこれをこれからずっと繰り返すのだと思う。

 

 

そしてそれは

人からしたら

何が楽しいんだと思うかもしれないけど、

 

自分のための満足というよりかは

その先に繋げるための橋渡しでしかない。

 

 

だから役割がない場が苦手なのだろう。

"自由にやっていいよ"が苦手なのだろう。

 

だからカメラマンになっている。

だからまとめる立場・現場を回す立場で

すっきりすべての歯車が回っていくのを作っていくのが好きなのだろう。

 

 

で、11番が入っているので

色々気になる。

言葉にしてないことも、

これから起きそうなことを見つけることも

多分得意なのだ。

 

 

7番があるので

探究心があるのだ。

物事には本質があるとも思っている。

だから本質がわかれば

いろんなものの歯車が合致することがあると

思っている。 

 

 

絡まっている紐を解いていく作業

 

それが自分なりにはとても楽しいのだと思う。

 

 

ただ、その楽しさは

あまり周りにはわかってもらえてない。

 

 

言語で伝えても

伝わらないのが今まで。

 

 

しかしそれもまた

伝えていく段階にきている。これからだ。

 

 

準備は整っている。

あとはコツコツとやっていくだけ。

 

作り上げると言うよりは、

形にしていく

まとめていく

土台を作っていく

それを柔軟に変更できるまでの土台を作る事が

自分の役割なのだろうと思う。

 

 

人の育成も、

場の仕組みも、

療育も、

人の考え方も、

見ている視点の捉え方も

 

 

わからないから知りたくなるのだろう

わからないから違いがあり、

違いがあるからこの世界の見え方が広がるのだな。

 

 

常識という型にはめないで

世界を見てみる。

 

働くという常識

お金という価値の常識

仕事という常識

人間として生きている常識

 

 

その枠の大前提から見直す

それを決めているのは自分なだけで

共同幻想なだけであるから

 

もっともっと傾聴して

もっともっと観察していける

器を育てていかないとだなあ

 

 

人じゃないんだよなあ

自分だなあ

自分じゃないんだよなあ

ただそこに今この瞬間あるだけなんだよなあ

 

 

 

無事に母が文通相手に会えるといいなあ。

 

 

 

今日も一歩。

◎どんな自分でも可愛いと思えば良い気がする。

 

勉強ができなくても、

運動ができなくても、

うまく人と話せなくても、

 

まあ、いいのかな

そんな自分も個性だし

可愛い♡

 

って思えばいいよねえ〜

っていうのが最近の自論である。

 

 

なぜなら、

全ての生きやすさは自己受容から来ていると思っている。

 

 

本当は、

誰も何も課してない。

 

 

やるか、やらないかは

選べるし、

選べばいい。

 

 

何かを頼まれる

何かを役割とする

場合には、

その部分に「課せられている」部分があるわけで

それは家族にとってどんな役割なのか

会社にとってどんな役割なのか

何をしてほしいと思っているのか

何をしてほしいと思われているのか

 

そこを明確にしなければ

人も変わらないし

そもそも、人に伝わっていないのだと思う。

 

 

だから

主観だけの言葉は通じない。

常識というのもラインが明確にはない。

  

基準というのは、

例えば法律

例えば会社の理念や方針

 

自分が全体を見ることや

人を育成する役割がある人間であれば

そもそもその

やってもらう上でその人にどんな役割を任せているのかを本人が自覚できているのか?

その設けている基準以外に

追加で色々とものを言っていないか?

 

と、平常心で見ることも大切なのかなと思う。

 

 

今は、

できていなくても、

できていても、

なんでもいい。

 

 

自分が自分の役割に徹するために

情緒の安定を得るために

全体が上手く役割がハマっていくためには

どうしたらいいか?

どう伝えたらいいか?

どういう仕組みがあったらいいか?

 

だけである。

 

そして、

相手には相手の役割があるのだから

負担が大きくならない程度に

相手を観察し、同意を得た上で任せることを増やしていけばいい。

 

 

これも、

お互い様なのだろうと思う。

 

自分ばかりが頑張っている

自分が頑張ればいい

というポジションや

仕組みになってしまうから

他の人が無能に見えてしまったり、

頼れなくなったりするのだろう。

 

 

人の主観はあまり参考にしない方がいい

主観はあくまでも主観

自分自身もまたそうである

 

最近MBTIを極めているので

人の傾向をさらに分析しやすくなっている

 

でもそれも

正解・不正解ではなく

より、"ありのまま"を受け取れるツール(基準)を増やしていくことで"ありのまま見る"力を養っているのだ。

 

 

これが、茶道でいう

"正見"

 

 

自分のことも

他者のことも

シンプルな指標がなければ見えなくなるものだ。

 

 

わたしはこの6月

あまりプリントに向き合えていない。

定点記録も1週間くらい空いていた。

 

 

一昨日くらいから見えるところには

プリント(記録表)を置いている。

 

しかし、休養もしたいし

考えたいことを目一杯考えたい時もある。

帰ったらご飯を食べて寝たい。

朝はゆっくり起きたい。

 

やることはあるから

やらなきゃ。となっているのだろう。

 

 

それもまた言い訳である。

ただまた少しずつ

プリントをコツコツできる体制には

近付いている気がしている。

 

 

5月で体調を崩していたので

ちょっとずつバランスを見て

戻ってきているのだろうと思う。

 

 

だから、今は

今やる?

今どうする?

って問いかけている。

 

で、どんな選択をしても

OK〜今日はそうしよ🙆‍♀️

 

 

ってしてる。

毎日頑張って生きてるもん〜

自分に素直に基準を持って過ごす

そしたらどんな選択でも受容すればいい。

 

 

 

なので、

あまり葛藤はないのがここ2週間くらいかな〜

 

 

 

今日も、一歩。

◎パートナーシップって。

 

ここへきて、

自身の「仕事」というものの

捉えている輪郭と捉え続けていたい在り方がみえてきている。

 

また、「パートナーシップ」についても同様だ。

 

 

自分と捉えているものの、

1人だけの世界

以外の場所で起きることでの取り組みで

わたしが1人で怖がっていたこと。

 

 

それが、「確かめること」だ。

 

 

確かめれば、

わたしの確かめる範囲の言葉が特定される

そのことによって

相手から発せられる言葉の意味の特定を

わたし自身が受け取ってしまう。

 

 

そして、誰よりも感情をそこに私が乗せたしまい

誰よりも自分を否定する癖があったと感じる。

 

 

そこの恐怖があったのだろうと思う。

 

 

それはそういった経験が少ないからである

ということも一つなのかもしれない。

 

 

20代が終わるまでは

どちらかといえば

なんとなく空気を読んで合わせている振りをしながらも、

本当はあまりわかろうともしておらず、

ある程度のところで

自分と他者を切り分けて、

自分がどう思うかに正直に

それをどう通せるかというところに注目をして

選択をしてきたと感じている。

 

 

そして、

それもそれで必要な期間だったと感じる。

自身の自身でもわかっていない自身の形を

表したかったんだと思う。

  

 

どこかにとどまることではなく、

形を決めてしまうことでもなく、

可能性を感じられることには

とりあえず多動性を発揮して動き回る。

やってみる。

感情を出してみる。(無意識に出ている)

 

そういう取り組み。

 

 

人を疑い、

人を評価して、

人と自分を観察する。

それで"わかった気"を一旦仮で

置いておきたかったのだろう。

 

それは、どこか、何か不安定な中で

何か、安心を得たかったのだろうとも思う。

  

自分を周りと浮いていないかを確かめながら

それでも個性があると主張しながら

葛藤を続けて生きてみる。

 

 

できていない部分を見つけるごとに

できている部分を見つけようとする

 

できていない自分=欠けている

欠けているから駄目なんだという

方程式に無意識に結びつけようとする心理が

あるのだろうと思う。

 

 

しかし、

それもやはり

動き続けて

ありのままで受け止めてくれる環境が

広がってくることによって自然と安心に変わり、

 

その安心の中で

自分の得意を活かして

役に立てることを知ることができ

あーこれが一つなんだなと自己理解に繋がる。

 

 

しかしそれでも、

日々何かに飲まれる時はあるので

都度人と対話をし

学びを得て

また前に進むエネルギーを養う。

 

 

ただの共感だけでは

きっと前に進むことはできなかった。

   

考え方の学びがあるから

一歩ずつ変化を選んで来れたのだと思う。

 

 

今がベストを更新中だ。

 

 

 

させていただいている仕事によって

人と対峙することを経験する

 

その枠が、

わたしの自身の揺らぎを表してくれていたように思う。

 

 

そしてずっと仕事と私生活は切り離している感覚でいたが、

今日ふと、

繋がっている感覚を知った気がした。

 

 

対峙する怖さは、

様々な場面の経験から

以前よりもかなり小さくなっていることに気付く。

 

 

大切な人

関わっていきたい人とは

どんなコミュニケーションができているのか。

それは、周りの人が見せてくれていた。

 

なぜわたしはパートナーには中々その開示ができなかったのか。

 

相手に何かある訳ではなく

わたし自身のタイミングだったように思う。

 

 

言葉にすることで意味の固定化がされることがある。

 

でもその意味の捉え方は本当は一つではないことを前提にコミュニケーションが取れると可能性は広がるとも思うのだ。

 

 

捉え方を大きく受け止めて

感謝で返答すること。

一瞬固定化された意味付けが自分の中で起きたとしても、それに自分がどう反応して表現したかをジャッジせずに見ればいい。

 

 

相手には確認してみなければわからない。

相手の感情も自分の感情も受け止めなきゃという自身の責任感からそれができなかったとも思う。

 

 

そもそも受け止めなくても大丈夫だということだ。

 

私が何かの責任を取らなければいけない

場の空気を壊してはいけない

乱してはいけない

はみ出てはいけない

という、固定概念から解放されればいい。

 

 

力まなくても大丈夫。

なんとかなる。

全てのことは最善に進んでいる。

 

 

自分の力だけに頼るばかりではなく

力を抜いて

見えない力に任せてみることもまた

今必要なことことなのではないかと感じる。

 

 

 

やはり、

ありがとうございます

なんだなと。

 

 

大丈夫。

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

◎わかった気になってる。

 

 

今日は久しぶりに覚醒度が高い。

1日が月曜日ってなんかいいよね。

今日やらなきゃってことがなんか多いのか

勘が冴えている。

 

なんだろうか、

先週末まで

全然動けなかったのに

動ける。

頭が動く。

 

早い。

時が流れることも早い。

 

 

あとはなんか

軸がしっかりしてきてる。

大切にしたいこと。

 

 

ちょっと上がって

また下がる。

 

自尊心崩壊してんのかな。

 

楽になりたいのに

比べる自分が出てくる

焦る自分が出てくる

 

今の自分を受け入れられてないみたい

だから周りも

みんな敵に見えるんだろうな

 

 

ちょっと軽くなって

また重いものがのしかかる。

 

 

なんなんだろうな

天中殺。

 

 

2年ずっとこんな感じかな。

 

 

見える部分が全てではない。

全てあるように見えてもそんなことはない。

見えてるもの、

聞こえているものに

惑わされないこと。

 

 

見失うな。

今ここ自分

ちゃんとある。

 

 

大丈夫👌

愛でることだ。

 

 

 

愛だなあ〜

愛でこんなにあったかくなるものかね。

 

 

枯渇してたな。

まわりに愛が溢れていただろうか。

 

 

いや、自分に対しての

愛情表現が足りていなかったか、

いや気付かぬうちにサインはいつもあったけど

 

そのサインにどうすることも

できなかったのかなあ

 

 

また、できなかったこと

できなかった自分に

自己嫌悪になっている

 

 

自分という幻想が強い

ないない

何もない

 

幻だ

 

 

 

わかった気になるのも

わかった気になっているんだ

 

 

 

今日も、一歩。