そういうこと。
私は手利きの人。
目からのひと
耳からのひと
手からのひと
がいるというが、
私は手からの人だと思っている。
耳からの情報が
本当に弱い。
これが、
わかった。
え、みんななんでわかるの?!
ってこと振り返ると山ほどあって
え、いつ言ってた?!?!
ってなることが学生時代のあるある
あと目でみて
情報をキャッチするということも
中々意識しないとできないんだな
でね、
手なんだよ。
体験なんだよ。
やってはじめてわかるんだ。
言葉をことばできいててもさ
わからないんだよね。
理解ができてないんだな〜
だから
アウトプットも
簡単なことばの表現方法しかできない。
目は見える世界をどうクリア(達成)していくかだとする、どっちかというと外側へどう働きかけるか
耳は自分がどう感じるかに意識を向けている人かなと思ったりする、どっちかというと内側の感覚を大切にしているか
手はセンスだと思っている。
その外と内を両面で繋ぐ感じ。
なんならどっちもわからない。
実際に淡々と日々手を動かしているからわかる。
わからないまま続けることで
わかるところへいける傾向がある気がしている。
間を感じられるというのは日本人特有らしい。
内容はすべて持論の独り言
エビデンスなんてないです↑
一回振り回されてみるっていうのも
大切だなって
一回渦の中に入ってみるっていう
経験も
大切だなって
好んで入ってったりはしないと思うけど
毎回波に飲まれて
溺れかけるというもの好きではないが
意識できる範囲で
時々飲まれていくことがあっても
それもまた面白いなあと思う。
そんな時の自分が残す表現も
また面白いなあと思ったりする。
ズレてはなくて
あ〜それもまた
その時でそこにいたんだな私。と思える。
バランスを欠いている自分も
普段は人の目を少なからず気にしている分
内側の表現が出てきている日があっても
振り返ってみると
面白いんだな。
結局
どんな自分も肯定できた時
有難いな〜ってなれば
大丈夫か。
大丈夫ね。
大丈夫よ〜。
今日も、一歩。