日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎個人差の受容を。

 

 

 

人並みに頑張るのが

精一杯な人もいると思うんだよね

 

 

 

できないこと

やれないこと

を結果さ

それが時に

甘えとか言われたりするけど

努力不足って言われたりするけど

 

 

 

それって本当にそうなの?

っていう考え方もあるんじゃないかな

と思うんだ。

 

 

 

どうとでも言うことはできるんだもの。

事実は一つしかないけどね。

 

 

できなかったという結果だけみれば

 

 

その結果の見方なんて

・あ〜努力が足りなかったんだね

・あ〜途中で集中が切れたんだね

・あ〜そもそもやらない選択をしたんだね

・あ〜他に優先したいことがあったんだね

・あ〜そもそも今それに集中できる時じゃなかったよね

 

 

と原因は様々に見えてくるのではないか。

 

 

それをやるってところにかける能力の差がそもそも凸凹だったら

 

 

それもやっぱり

できる人と同じようなレベルまで

できるということができないと

結果できなかったの評価になるんだろうか?

 

 

 

そもそもできなかった

というのは結果であるだけであって

 

 

それができなかったその人が悪いとか

その人が頑張ってないからだ

とかの理由付けをまわりが勝手にしているだけ

な気がする時もある。

 

 

やらなかったから

やれなかったから

できなかった。

 

ではその後、どうしていきますか?

 

続けてみますか?

やめますか?

休みますか?

でいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

脳の使い方だったり、

言葉の選び方だったり、

考え方だったり、

見てる視点だったり、

 

 

 

それを"頑張れば"できるもの

として

こちらは捉えがちであるが

 

 

 

その頑張りも

その人一人だけに頑張らせることではなく

 

 

様々な選択肢を本人はもちろん

時にはまわりも知ることによって

苦しく頑張らなくても

コツコツと達成できるポイントはあるのではないか

 

 

と、療育というものを知って

益々思う

 

 

誰に合わせた基準で生きなければいけないの?

人並みって?

普通って?

 

 

ただできない結果の

その理由づけを

自分も後付けはいくらでもできるし

他者もなんとでも勝手に解釈って

できることだよな

とも思うんだな。

 

 

 

 

今利用者さんを見ていて

話せない方もいる

 

けど言語理解ができていないわけではない

 

 

 

じゃあそれがダメなのかといえば

言葉以外の手段で

意思を伝えることができるのだから

それでいいのではないだろうか

 

 

 

と思う部分もある

 

 

 

けど

じゃあその方が

話せないということを

それでOKとして

 

何も刺激となる働きかけを

しないことは

また支援として違うのではないかと思う

 

 

その方のできる力を信じていないことにも

なるのではないかと思うんだ

 

 

 

そしてどちらにしても

まわりが評価することではないと思うんだ。

 

 

 

 

自然な流れでいうと

物事はコツコツと継続をすれば

人は習得をできる

 

となる。

 

 

もちろん

その姿は実際に児童発達支援の現場でも

見られることだ

 

 

 

一般的に話せるようになることが

できるようになる

の段階まで持っていくことが目指すところなのか

 

 

簡単でも単語が出るようになる

沢山話すことはできないけど

人とコミュニケーションをとることができる

 

というところを伸ばしながら

少しずつ発することができる言葉を増やすことを

目標とするのか

 

 

 

本人が話せないことで

困っているということは

それは障がいであるのだと思うが

 

 

言葉の持っている一つの意味以外の音のやり取りを

楽しんでいるような姿にみえる

 

 

今はそこに面白さを感じているのであれば

それは貴重な時期であり

貴重な感性だとも思う

 

 

そう思うと

大人側が

大人の都合で

こどもの成長を促す場面というのは少なくない

 

 

個人の成長が優先?

社会に馴染むことが優先?

 

 

それは今の自分にとっても

わからないまま進んでいる問いである。

 

 

 

障がいというのは

本人にあるものではなく

社会との関わりによって生み出されるものであって

 

 

じゃあ話さなくていいかと言われれば

話さないと通用しない場所というのも

やはりあるわけで、

 

どの状況を選んでいくかということも

重要なのかもしれないが

 

 

この先に本人が困った時に

まわりの人が

 

「今その段階になったんだな」と理解をして

その段階に合わせた関わりをするのか

 

「あの時やらなかったから今困ったじゃないか」

と言ってしまうのかで

本人が人を信じる気持ちも変わってくるのではないかと思う。

 

 

 

 

その上で今

どんなことができるかを

考えていきたい。

 

 

 

今の姿を受容しながら

こちら側が言葉を使った

コミュニケーションの楽しさを

見せていくのは

一つかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

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