日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎対等が面白いのにな。

 

 

やっぱり私は、

子育てに関わりたい

子育てがしたい

子どもと関わりたい

こどもの目線と対等な大人でありたい

 

 

 

なんでだろうと思ってた

それって

なんでそこがいいんだろうなって

 

 

なんでそんなに

私はこどもに

こだわるんだろうなって

 

 

 

ただただ自分が癒やされるからかな

って思ったり

こどもってすごく何事にも

受容してくれるから

好きなのかなって

思いもあったけど

 

 

それだけじゃなかったのかもしれない

 

 

 

柴田愛子さんの本を見てると

本当にわくわくする

 

 

 

こどものうちは

特に、強く

説明できない、面白い世界を持っているから。

 

 

 

だから、好きなんだと思う。

 

 

 

その要素がまだ強い時期にあたるから

 

 

 

その面白い世界を

閉ざして欲しくない、と思うから。

 

 

そこに携わりたくなるんだろうな。

 

 

 

大人もこどもも

誰しもだけど、

言葉にして伝えずらい人って、

 

 

ただただ言葉を選んでるだけなのに

まだ言葉が足りないだけなのに

 

 

聴く側に

勝手に決めつけられることってあるなと思う。

 

 

 

どれくらいその言葉を待って

真意を受け取る努力をしてくれる人が

聴く側に

いるんだろうなって思ったりする。

 

 

勝手に決めつけられたり

強いものや権力がある立場に

言いくるめられたり

これが正論だと植え付けられたり

 

 

でもそういう人って

その場で反抗したりしない。

ちゃんと芯は持ってるのかもしれないけど。

 

でも中には、

そんなに根っこの強い人ばかりでもないから

 

あー、それが正論なんだなって

どんどんどんどん

 

四角い箱に収められていく。

 

 

 

それぞれが

折角面白い想像力のある世界を持っていても

 

社会でやっていくためには

学校でうまくやっていくためには

と、

四角くなるべく同じ形になることを

強いられる。

 

 

 

そうでなければ、

やっていけないよ。

 

 

と言われるんだ。

 

 

 

そう言っている人は、

自分はそう思ってるのか。

自分はそういう人であるから自信を持って

それを人に教えるのだろうか。

 

 

自分のような人間になれ、

と言いたいのだろうか。

 

 

自分の生き方が正解だと、

伝授したいのだろうか。

 

 

 

私は人がこうしろ、と言うことは

納得しない限りは聞かないから、

 

人の言うことを潔く聞ける素直な方々を

本当に尊敬する。

 

 

そういうもんだよ

のルールの中でその形に合わせられる人も

いるんだなと尊敬する。

 

 

潔いところがあるというか

聞き分けがよいというか

器がでかいというか

 

 

それだけで、

もう立派である。

 

 

 

 

聞き分けがよくない私は、

多分痛い目には合う時は合っている。

 

 

器用な時もあれば、

器用でない時もあるから、

面倒を抱えてしまう時もあるけども。

 

 

怒られたくないから

酷く怒られないように自分から謝ったり

謙虚でいようとしたり

愛想笑いをしたり

時と場合によっては、使い分けるようにも

なったさ。

 

 

 

嫌な人との関わり方も

その最中は最悪的に

この野郎、って思ってたけど

慣れてしまえば

いかに自分がストレスなく生きられるか

 

を考えて、行動に移せるかで

解決していけたりいけなかったりを

経験するんだ。

 

 

 

結局、

やっぱり、

転ばなきゃ、転ばない方法はわからないよ。

 

知ることはできないよ。

 

 

頭でわかっても、

理解できないから。

習得しないから。

 

 

 

まわりもね、

可愛い子には

ぬくぬく

させたいなら

一生ぬくぬくさせてればいいじゃん

 

 

でもね、

絶対的にそれはできないから

一生その人の側で最後まで見守るって

ほとんどできないと思う

 

 

 

本当に愛情を持っているなら

そこで手厚く過保護に育てるのでなくて

 

 

いろんな人のところに

一人でいかせて

どんな心情やどんな葛藤が生まれるかを

経験させて

それで心が折れそうになった時に

ちゃんとそばで味方でいてくれる人に

なった方が

その人のためになるんじゃないかと思う。

 

 

それも、一つの方法だと

私は思う。

 

 

 

それぞれの面白い世界を

つまらない四角くの世界に収めようとしないで

 

 

それぞれの世界をもっと

広げさせていけばいいのに

 

 

って思ったりする。

 

 

 

 

 

教える人だって

育てる人だって

世界の全てを知ってるわけじゃない

 

 

少なくとも

こどもより、

世間を知らない人より、

 

知っていると、

偉そうに語るかもしれないけど

 

そんなもの小さい世界の一つに

すぎないんだから

偉そうに語る権利なんてない。

 

 

 

対等でいればいい

嫌なことは嫌と言う、

どの立場でも

嫌という権利はあっていいと思う

興味がなければ興味がないでいい

 

 

 

自分の人生は

自分で責任をとる

 

 

大切にされれば

誰かを大切にできる人にきっとなれる

 

大切にする方法を

間違えてはいけない

 

 

 

やれないことは人を頼ればいい

専門的に

得意な人もいるわけで

だからこそ、

それはその人の世界なのだから

 

 

なぜうまくいっている人だけ

そこにフォーカスしてもらえるのに

 

 

 

ちょっとできないことが多いからと

平均的なことができないといけないと

言われなければいけないのだろう。

 

 

 

 

なぜその

平均的な正解に

合わせなければいけないのだろう

 

 

 

失敗しなきゃ

わからない

 

 

 

 

それは小さなことだけでなく

その人の人生だってそうだろう

 

 

そこから

その人がその経験で

何を得られるかだ

得る力を持っているかだ

何もない人はいない

 

 

 

それを

何のフィルターも入れることなく

近くで見守れるのが

こどもだからだ

立場で人を見ずに

感覚で物事を見れるからだ

 

 

真っ直ぐに

それが通じやすいのがこどもだからだ

 

 

 

だから

好きなのだ

面白いから

 

 

 

大人はめんどくさい

誰かと違う世界観の価値観でも

誰かと違う世界観の教え方でも

それを一つの正解だと決めつける

 

立場とか礼儀とか

偉い人は立てるだとかめんどくさい

人と人との関係の中に

そんなものは後からくっつければいい

 

 

建前ばかりでうっとおしい

 

 

それが正義だと

訴えてくる

 

 

 

大人はこどもを四角い箱に収めようとするし

大人ははみ出ている大人も

四角い箱に収めようとする

 

 

それができないと批判したり

人を変えようとしたり

人にルールを植え付けようとする

暗黙のルールを植え付けようとする

 

 

 

それって

本当につまらない

 

 

 

 

 

 

と、自分はそう思うから

そのやり方はしないし

賛同しない

 

まわりがそちらを向いてても

合わせない

 

適当にやるさ

 

自分が納得できる折り合いが着くまでは

納得できる面白い部分を探す

 

 

 

 

私のとても好きな世界は

私で大事にすればいい

 

 

 

そういうことだ

つまらないものはつまらないのだから

そういうことだ。

 

 

 

 

そして

誰かの世界も

面白いなって覗くくらいの

距離感が

楽しいのだ。

面白いし、その立ち位置にいたいと思う。

 

 

 

 

 

本当に、みんなが、

働かなきゃいけないの

朝起きなきゃいけないの

みんなと仲良くできなきゃいけないの

なんでもかんでも報告しなきゃいけないの

遅刻がいけないの

敬語を使わなければいけないの

愛想がないといけないの

同じところでずっと働かなきゃいけないの

 

 

それって誰が決めるの。

 

 

それは多数の人が

やれてるってだけの話しで

本当に難しければ

無理にやらなくてもいいんじゃないの

 

 

生きにくいって思うなら

どうすれば生きにくくなくなるかの選択肢を

増やせばいいんじゃないの

 

 

まわりが無理って思ってるだけで

意外とできちゃったりするんじゃないの

本人にその意志がないなら

とりあえず環境だけあればいいんじゃないの

 

 

 

それって無責任なの

 

 

 

困ったら困ったで

その時に成長すればいいんじゃないの

 

 

 

 

他に選択肢はないの

本当にもう何もできることはないの

どこかの部分を妥協すれば

当てはまるところは

必ずあるんじゃないだろうか

 

 

 

 

当事者っていうより

まわりが騒いでるだけってことが

ほとんどだ

 

 

不安なんてさ

心配なんてさ

そんなもんだとも思う

 

 

 

 

 

今日観た映画も

本当によかった

 

 

 

 

 

あーーーあ、

本当言葉ででにくいその部分

感動したんだよね

 

 

あの距離感。

 

 

大人でもこどもでも

人として、対等なそれに。

感動した。

 

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

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