協調性という言葉に
多分その言葉からの印象が
私は好きじゃない、と偏見を持っているので、
調べてみた。
言葉の意味合いでは
私の偏見とは違う意味がわかった。
協調性:異なった環境や立場にいるひとと、譲り合って協力ができる事
私の偏見は、足並みを揃える事だと思っていた。
まわりの動きに合わせる事といった意味合いが入っていると思っていた。
それもそれでよくよく言葉を考えてみれば
"譲り合って協力ができること"
となるので、"まわりの動きに合わせる事"というのもなるほどと、そこまでかけ離れた捉え方ではなかったことに気付く。
譲り合って協力ができる
とは何だろう。
自分の意見を持ちつつ、
相手の意見も聞いて
いい結果になるように協力ができること。
なるほど。
きちんとした言葉の意味を知る事で
無意識に自分が言葉に対しての偏見を持っている事がわかった。
それもまた、
自分の思いを発信して
それってこういう面があるからかもね◯
も教えてくれる人がいた事によって
気づく事ができた。
相手の意見を聞く事
聞いて取り入れていく事。
あーなるほど
立場が変わっているから
というのもあるかもしれないけれど、
こうしたいのにさせてくれない
という中でのフラストレーションと
なぜかよくわからない納得のいかないものに
合わせないといけない雰囲気があることが
私にとっては、
協調性という言葉に偏見を持った原因の一つであるかもしれない。
協調性が大事と言われるけども
それは自分の意思がきちんとあって
それを尊重される環境があるからこそ
成り立つものであるのだ。
今の現場でも
同じような場面があった。
興味のある事をさせてくれない(こちらとしてやってほしくない事)と
それがやりたかった思いが通らなかった事によって
大きな声を出す子がいた。
でもそれっていうのも
私はこうしてほしいよ
あなたはどうしたいの
の間を探ればいい話ではないか。
私はトイレのお水で遊んで欲しくない
あなたはお水に興味を持ったので遊びたい&それを止めに来るか来ないかの様子を見ている
そうかでは
私の思いも伝えていいのだ。
相手に100%合わせる必要はないのだ。
だけどもこちらが100%になっては
相手もこちらを理解しようとはしてくれないだろう。
信頼関係は構築できない。
それは嫌だよ。
水遊びはしないよ。
トイレが終わったら、手を洗って部屋の外に出るよ。
小さい声でも聞こえてるよ。(小声)
と伝えることも大切。
そして、
相手はどうしたいのか
興味を持って遊ぶけど、場所を変えてみたらどうなのだろう。
本当にお水に興味があるのか
それを止めに来る私に興味があるのか
そうだとしたらもっと違うコミュニケーションの仕方を伝える事もできるのではないか。
ではそこに理解を深める鍵があるかもしれない。
それを探っていく事で他者との信頼関係の築き方を学んでいける事ができるのだ。
集団に合わせられない=協調性がない
と片付けないこと。
合わせられないということは
合わせてもらった経験が少ないからこそ
そういう行動に出ているのだ、という気付き。
なるほど、
私も今日、協調性という言葉の偏見の根本が
説明できる機会になったので
収穫です!
今日も、一歩。