日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎育むって愛おしい。

 

 

 

 

天邪鬼っていうところがあって。

多分それは

好きな時に喋って

あとは周りの話を聞いてればいいんだって

思いながら家族の中で育ってきたからかなって

思うんだ。

 

はい、喋ってください

っていう状況の元で育ってないし

あ、今喋って主張しないといけない!

っていう状況でもなかったから

それが苦手なんだなと。

 

 

 

 

説明が必要なんだなって

思う状況になると

説明したくないな

と思ってしまう。

 

 

それって一方の価値観で見れば

優しくないのかもしれない。

 

 

だが、もう見て覚えたらいいよ

一回やったならもう見てなんとなく知ってるはずだから私がまた1から説明をするよりも

一回思い出してやってみたらいいよ

見てるから

ってなっちゃう。

 

 

 

でも前提とか

伝えるの忘れちゃう

はい、やってみてってなっちゃうから

その表現方法だなって。

 

 

 

何伝えたらいいかなーって

枠なんて段階によって、人によって

違ってくるし

それに集中できればいいんだが

え。その説明は毎回丁寧にしないと

いけないのだろうか…と違和感を感じると

ポイって、投げちゃうところ。

 

 

あ、とりあえずやってみて。って

投げちゃうとこ。

あるな〜って。

 

 

 

え?!やるんですか?!

っていう反応をちょっと見てる

それでも、やろって、なる人もいるから。

いや、無理です〜ってなっても

大丈夫一回やってみて、って言っちゃう。笑

 

 

説明するって大変なんだよ。

毎回なんてできない⇦

 

 

自分でやってみてわからないところは補足したほうが記憶できる気がしてるんだろうな。

 

 

 

なんでもかんでも丁寧に教えてもらえたり、

道筋を順序立ててもらったり、

よしよし、って、する教育方法もあるのかもしれないが、

 

 

 

見えないことも見えないながらやっていくっていうのも必要なことだよって思うのです。

 

 

 

言葉を添えずに、いってこーいって、

一回やってみよーって

一回落としてみるみたいなそういうことしちゃう。

 

 

 

全部を見て覚えろ

背中で覚えろ

とまではもう今は思わないかな。

 

 

一回落としてみるって、

しちゃってるな〜

悪気は無いんだけども

世間にはそんな自分にアンテナ向けてくれる人

ばかりじゃ無いぞって思うからかもしれない。

理由付けをするならば。

 

 

 

転んでも一々手を貸してくれる人を求めるんじゃなくて、転んでも自分で起き上がれるようになることも必要。

 

 

 

一回転んだ時に

痛い、って思ってるんだろうなってなったら

痛かったね、頑張ったね

って言ってそばに行ってみたり。

 

 

二回目に転んだ時は

一回その後どうするかを近くで見て

起き上がったら起き上がれたねって伝える。

泣いてたら大丈夫だよって傷ができてたら治療をする。

 

 

 

三回目に転んだら

自分で起き上がるか

そのまま泣いているかをもう少し遠くで見て

それでもどうなるかを見届ける。

 

 

 

そしたら誰か他の人が手を差し伸べるかもしれないし、自分で起き上がるかもしれない。

その転んだ場所から少しでも自分の力で前に進めるか。自分が自分の意思やまわりの働きかけで動けるかが鍵。

 

 

 

 

どんどん距離を離していく。

離れたところでもちゃんと見守ってるよっていう

スタンスでいることだ。

 

 

それが伝わる距離感にいることだ。

 

 

 

面白いねえ。

育むって愛おしいね!

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

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