日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎エゴに気付く。

 

 

 

気付くと不意に、

教えようとしてしまう心が働く

 

 

教えよう。

育てよう。

 

というのは

実におこがましいこと、なのか。

 

 

 

 

と、自分の無意識に気付く。

 

 

 

自分はそう思う

というだけの話だが。

 

 

 

発言者の方も、

人によって人に合う言い方ってあるなと。

自分にあっている話し方を考えないと

怒りをかってしまう人もいるのだから。

 

だから誰に対しても謙虚さは

忘れてはいけないなと。反省。

 

 

教えようとしなくても

育てようもしなくても

人は勝手に育つ。

 

 

その強制さや

教える側が

自分の力でやってみせた感を

どこかに感じて心地を良くしている

 

 

 

ふと、そんな自分に気づき、

鳥肌がたった。

 

 

 

 

何かのノウハウを

自分の意志で選んで

見て学んでいることは多い。

 

 

常に情報を知りたい欲があるのだろう。

 

 

 

では、なぜ

その情報は何のために知りたいのかと

自分の心を探ってみると

実践したいから、となる。

やってみて、試してみて

どうなるかが知りたいから。

 

 

 

でもその情報を取り入れるということに

慣れてくると

 

 

 

無意識のうちに

その情報をそのまま人に伝えれば

自分はその情報を知っているのだという

歪んだ認識で

歪んだまま

さらにそれを自分の自信にしているような

感じにもしているのではないか、と

思えてきた。

 

 

 

誰かに

ひけらかすために

情報を取り入れるのではない。

 

 

 

 

もっと自分の目で本質を捉えるのは

どうして鍛えていったらよいのか。

 

 

 

人は勝手に育つ

人はそれぞれのペースで覚えていく

だから

他人が口を挟むことではない

 

 

 

挑戦できる環境と

安心できる環境と

受容が必要であって

 

そのためには

相手の心を想像できる言葉を使うことが

必要かと思う。

 

 

健やかに育つ環境が必要なだけだ。

 

 

 

 

人が人にどうのこうの言葉で伝える

っていうのは

あんまり必要でもない気がしている。

 

 

 

ある意味

他人は他人と考えている。

 

 

 

結局、人に答えを求めてしまうというのも

自分の目で見て、自分で考えるということを

疎かにしてしまうような。

 

 

誰かがそれを誰かのためにやったとしても

誰かのためには結局はならないと。

 

 

 

 

 

答えを求めているんだなあと。

つくづく思うのです。

 

 

 

 

一人でいるばかりでは

気付くことも気付けないこともあるので

人といることも大切である。

 

 

 

 

それでもやはり

その答えを求めて、人に求める

それだったり

 

 

 

人のことを変えようとする

それに

気付いて、

我を見直すということを大切にしたい。

 

 

 

 

人と共に生きても

自分の在り方を誰か他の人に委ねずに

歩んでいくことは大切にしたい。

 

 

 

 

 

 

心地よい調和を保ちながらも、

 

自我というものを

どれだけなくしていけるか。

 

 

 

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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