日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎手を貸す内側。

 

 

 

寝ても寝ても

眠いいいいい💤

 

 

 

善意で

「〜しましょうか?」と言うことが

無意識に相手の培っているものを

削いでいることってあるのかもしれないなと

ふと、思う。

 

 

(相手が)おそらく大変であろうから

こちらが手を貸しましょうか?といった

そういうものだ。

 

 

もちろん

それがとても助かることもあるのかもしれないが。

 

(相手が)おそらく大変だろう。

というのも、

こちらの勝手な見方である。

その人はその中に生きていて、

そこに大変か大変じゃないかを決めていくのは

まわりではない。

 

 

 

長い目で見たらその一つ一つに

手を貸してしまって

その人のやれることを摘んでしまっていないか。

 

 

本当にそれは

こちらがただできるという状況なだけで

安易に手を出していいことなのか。

そういうことを常にしていないかを考える。

 

 

それは人としての優しさと違うのか

優しさって教育とか支援にも

入ってくるものなのか。

だとすると

どこまでが優しさになるのか。

 

 

 

 

そこの人と人との線引きというか

フェアだと考えれば考えるほど

考える必要があるのではないかと。

 

相手を尊重すればするほど。

 

それぞれの自立の促しとか

相手にだけ求めるのでなくて自分も自分で

手を貸すということを簡単にしてしまう前に

学んでいくことがあるなと感じたりする。

 

 

 

 

どんな人でもそれぞれ課題はあるわけで

向き合うことがあるわけで。

だから人の課題をどうのこうの

言ってる暇はないんだろうも思うんだが。

 

 

 

良いも悪いも

ない場所が真ん中なんだろうな。

 

気持ちも

天気も

 

モヤモヤとするのは

その基準が良いものになることを

求めすぎていたりしている時に

よく起こるような気がする。

 

 

基準は変わらないのに

勝手に自分で変えているだけなのに

それにやさぐれて文句を言いたくなるんだろう

 

 

面白いねえ。

暇だねえ。

お気楽だねえ。

 

 

 

幸せだねえ。

 

 

 

ありがとうです。

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

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