日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎がんばっていく。

 

 

 

 

さあ、暑くなってきました。

 

 

体調が少し疲れやすい季節なようで

いくらリラックスの時間を十分にとっても

 

花粉やら体調の変化によって

蕁麻疹が出たり、肌の調子が悪かったり

なんだか整いません。

 

 

心の調子は十分な休養のようで

客観的に状況を面白がれるので

まだ元気なようです。

がんばってくれてます。

 

 

 

さて、最近

過去の自分の姿を振り返って見ることが

多い、

というか、はっと思い出すことが多く

夢に以前保育園で見ていた子どもたちが夢に

出てきたり

 

 

あの時の自分の行動はあの時は精一杯だったけど

 

 

今思うとすごく未熟なことをしていたなと

それによって

周りの人たちはよく付き合ってくれていたな

 

つくづく思います。

 

 

 

一生懸命だったのでしょう。

 

 

今も今でできることはやってると思うんですが。

 

 

まあ、後になって

その時できたなってことも思うことがあったり

するので

仕方ないものですね、

 

 

後悔しても仕方ないですから、

 

 

何事も経験として

今の自分の身にしていきましょう。

 

 

 

 

さてさて

以前のブログにも

 

 

"責任転嫁"の言葉を載せたのですが、

 

 

そうする時は大抵

自分で決めてないときなのではないか。

 

 

と考えました。

 

 

 

自分の選択、決定は自分の責任だとして

今の選択をしていないのではないかと。

 

 

 

いつも誰かの顔色を見て決めたり

まわりがそういうから自分もそうと決めたり

まわりがそういう環境にあったからそうと決めたり。

 

過去や未来にばかり気を取られて今の自分の選択をおそろかに実はしていることに

気づかないのかもしれない。

 

 

自分のことに気付いてないって

多分それこそ所々で日々あるのでしょうけども

それって誰でもなくて

自分の責任でしかないのに

 

 

結局そういう

まわりの人がどうだから

っていう逃げ場を作っているのでしょう。

 

 

 

まわりの人を見てる暇があるなら

自分のことに気付いてほしいけども

 

言わないとわからない

ともよく聞きます。

 

言ってくれないと、自分の至らなかったことに

気付かない

言う人がいるのですが。

 

ほお、なるほど。

 

それはそうかもしれない。

確かにまわりに自分がいたらじゃあ伝えればいいのかしら。

 

 

『言ってくれなきゃわからない』って

言ってる時点で人の責任にしている気もするのです。

 

 

そう言う時の言葉って繊細で

だから直接的でなく

その人が気付けるような言葉を掛けられるのが

環境を整えることがベストなのでしょうか。

 

 

 

なんでも、無意識に気付かないまま。

 

だから何かあったときに

人のせいにしていることも

気付かないまま。

 

人の気持ちは考えずに

いつも自分ばかり苦労していると言う。

 

 

 

ほんとに、よく言ったものだ。

 

 

 

わたしが決めたわけじゃない。

と言ってしまえば、それはもう責任転嫁ですよ。

 

 

 

 

今の決断に意志を向けていない。

 

今の軸にいないんだろうなと思う。

 

過去のこととか、未来の心配をする。

 

 

その今の感情も今目の前のことも

あまり見ていない自覚もそんなになさそうな。

 

 

時間ばかりがすぎて

心配で神経質になり、睡眠はとれなくて

そして体の不調がおこる。

 

 

多分そのサイクルがあるんだろうなって

悩んでいる人を見て思う。

 

 

 

何かアプローチはできるんだろうか。

一緒に生活をしていく身として

 

見て見ぬふりをすることは

結構簡単なんだけど。

 

 

自分も自分で糸がほどけたまま解けない

そんな気持ちになるわけで。

 

 

 

だから

気になることのその先を目指すことにします。

 

 

 

なんたって

ピーピー言ってる言葉をいちいち鵜呑みにしてる暇はないし

同じことを何度も何度も言われて聞いてることはできるけど

 

それってなんの生産性もなくて。

 

 

そんなことも言ってられないくらい

 

 

その人の思いを汲んでこちらが

努力をしていくことをやったほうがはやい。

 

 

それは一概に

自分がやればいいと言うわけでなくて

 

多分今まで自分が他人と線引きしていた部分を

少し超えていくことが

それに繋がることなのかなと思ったりする。

 

 

でもお節介でなく

踏み込みすぎず

そういう距離感を

探りながら今やっていけそうな時なのかもしれない。

 

 

 

むしろ今そんなことが

目の前に来ているということは

わたしも何かしらのアクションをしていっても

いい時なのではないかと思う。

 

 

ストレスの中に生きているのは

一時的なもので結構だ。

 

 

ラスボスくらいの癖のある人に対して

自分はどんなアクションをとれるだろうか。

 

 

 

それによって

どういう風に人間性を上げていけるだろうか。

 

試していこうと思っている。

 

仕事というよりも人間性である。

 

 

そんなに難しいことじゃない。

共感力を高めてさらに自分の力を高めていくと思って

精進していけばいい話だ。

 

 

 

なんでもこい。

受けて立つ。

 

 

 

 

 

心の中はそんな闘志が漲る今日この頃。

 

 

 

さ、笑っていきましょ。

 

 

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

 

f:id:happyokapi:20200524103359j:image