日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎全てファンタジー。

 

 

 

全て、ファンタジー

 

 

 

なんて素敵な響き。

 

 

 

しばらく心が塞ぎ込んでいた感覚があったから

今春の訪れとともに

心が晴れてきている感覚があるので

 

少し前の自分を振り返ってみている。

 

心のどこかで

怒りや悲しみを

 

面倒なものだと

あってはいけないものだと

縛り付けていたのかもしれない

 

 

 

どこにいても

自分はちゃんと無意識にその場その場に

自分を順応させているのかもしれない。

 

 

「こんなことで疲れてはいけない」

というのはいつだって脳であって、

 

体や心は正直なのだ。

 

疲れたのに、違う違うと制してばかりいれば、

早く気付けーーー!!!

と言わんばかりに感情が怒りや悲しみとなって溢れ出す。

 

 

 

自分の中の叫び声は

ちゃんと自分を見てほしいという合図なのかもしれない。

 

 

 

どんな自分も認めるというのは

そういうところなのかもしれない。

 

 

 

ただそう思うなら

その感情を塞ぎ込んで

修正しようとしなくてもいい。

 

 

 

ストレスをストレスと思わないことが

ストレスを溜めないことらしい。

 

 

その日その日で手放していく。

そのためには、、、。書くのが良いらしい。

やっていこう。

 

 

ただ、ストレスじゃないストレスじゃないと

怒りや悲しみの感情までも

頭で気のせい気のせいとごまかしていても

どうやら、ごまかしきれないらしい。

 

 

沸いてしまったものは

仕方がないことだ。

 

 

 

 

その時に無駄に自分を責めなくていい。

悪い感情だとする必要はないらしい。

 

 

 

 

 

全て、ファンタジー

 

どれが正解で

どれが本当で

どれが常識で

どれが美徳かなんて、

 

全てファンタジーのようだ。

 

 

 

 

楽しい。

 

 

 

誰かのファンタジーを"真実"とすることも

自分のファンタジーを"真実"とすることも

しなくていいのだ。

 

する必要はないようだ。

 

 

 

 

 

どれが道徳心なのか

どれが善悪なのか

 

優しさとはなんなのか

 

人のために何ができるのか。

 

 

 

 

抵抗感が生まれてくる時は

きっとそこの何かのファンタジーの中に

飲み込まれそうになっている時なのかもしれない。

 

 

反抗したくなる

どれも信じたくなくなる

 

 

そのファンタジーとは反対のものを

探そうとする。

 

 

 

 

そういうときは、

そういうときらしい。

 

頭より先に、

何かが敏感に気付いているらしい。

だから理解したければ

その感情の根本的なことを探すんだ。

 

探すためにはちゃんとそれに目を向けないと

見えてこないんだ。

 

 

 

 

ただ単に

怒りの感情

悲しみの感情

わがままな感情

を否定していても

何も解決しないのだ

積もるものが積もっていくだけ。

 

 

 

 

見なくていいものまで見なくていい。

本当に見るべきものはそんなに沢山ないのかも。

 

 

 

 

広く大きな心で

生きたいものです。

 

 

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

 

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