日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎生活を基準に。

 

 

優しさとは

どんなことを言うのかなと

 

最近考え中である。

 

それを優しさととるのか

甘やかしているととるのか

 

それは人それぞれなのだろうか。

 

 

保育士も、今のB型就労のスタッフも

同じようなことだ。

 

 

たとえば

よくありがちな台詞でいうと

"何かをしてもらったらありがとうって言うのよ。"

"人に優しくしなさい。"

 

というのがあるだろう。

 

わたしも使っていると思うのだが、

それについて、ふと

んー。自分はどうかと最近思ったのだ。

保育士の時も同じように考え

同じように言葉を考えていたけども

やはり暮らしがなあなあに

なってくると

そんな自分も我慢すらなあなあに

ただ片付け作業のように

なっていくのだ。

 

 

前の仕事も今の仕事も

対象として

一緒に過ごしている方々は

そんなことを言わなくても

言葉以上にその思考と行動を

できているなあ。と思ったりする。

 

"優しくしなさい"

"困った人を助けなさい"

とそんな言葉を言わなくたって

そこにちゃんとあったりする。

 

 

それをみる余裕がないのは

気付く余裕がないのは

こちらの方だったと気付くことがある。

 

 

なにか、

その先を考えて

今あるものを変えようとするのが

良しとされているその形が

それでいいのかなと疑問に思う。

 

 

でもだからといって

その他大勢の"社会"というものが

もっと変わればいいんだ

なんて言ったって

通用していかないことはわかっている。

 

 

できることは

自分の対応か。

 

なあなあに流れ作業のように

時に片付け作業のように

聞き流したり、

適当にあしらってしまっているその中に

自分の改善点はあるのだろう。

 

 

そこには

自分のやり方は正しいと凝り固まるエゴが

隠れているのかもしれない。

 

 

 

もうすでにあるんだなあ。

 

 

今自分ができることは

それに気付ける目が

曇ってしまっていることに

気付いていくことだろうか。

 

 

 

今に集中していないと

先の不安ばかり出てくるのだ

過ぎたことを思い出してばかりになるのだ

 

今をみて

ただ淡々と丁寧に日々を積み重ねることだ。

 

 

バランスはそこから

気付けるのかもしれない。

 

 

 

手間を面倒だと感じる度合いが増えてきたら

サインなのかもしれない。

 

 

そういう時は

そういう時だと捉えつつ。

感情と理性を切り離すこと。

目の前の生活にしっかり目を向けて行こう。

 

それが修行。

 

できたら自分を誉めよう。

 

 

 

ただ目の前のことを

一度認めてみよう。

 

これは言葉だけでなく

身体に入っていくまで

自分に言い聞かせて洗脳させていこう。

 

 

言葉なんてそんなもの。

 

 

 

まずは生活。

自分の心とからだのバランス。

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

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