日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎みえる世界、みえない世界。

 

 

みえるもの。

みえないもの。

 

見えるものが、

それが全てだと言われると

結構苦しくなるのです。

 

見えないものも、

あるでしょう。

 

 

例えば、

言葉。

 

「ちゃんと言葉で言いなさい。」

って言うでしょう。

 

こどもに対して、

言葉を伝えるのが難しい人に対して、

私も使ったこと、ある。

 

「言わなきゃ、わからないでしょ。」

 

っていう言葉。

 

これね。つい使ってしまう時あるんだ。

でも、使いながら、違和感のある言葉。

 

 

 

 

だって、自分だって、

言葉にできない感情を汲み取って欲しい時が

あるから。あったから。

こどもの時も、今も。

 

 

だから、先生という立場になった。

っていう経緯もあるんだ。

言葉にできない部分に気付ける人になりたいと思ったから。

 

 

見える部分と、見えない部分。

 

 

 

きっとどこかでずっと感じてはいた。

でも見えない部分は

見えないから、

見える部分に時々押しつぶされそうになっていた。

 

 

 

 

でもやっぱりバランスが取れてないと、

苦しくなって、

ちゃんと見えない部分があるって思えると

心が安心することに気付くのだ。

 

 

 

だから、見えない部分てあっていい。

見えない部分もあるんです。

 

 

 

こどもが何故泣くのか。

理由があるのかもしれない、

でもね、それに気付けるのは、

言葉じゃない。

 

見えない部分があるから、

赤ちゃんは言葉が話せない。

 

 

見えない部分を感じとって、

言葉以外のコミュニケーションをとっていく。

 

 

それは本当は、本能的にできるのに、

いつのまにか、その感覚すらも、

鈍ってきているのかもしれない。

 

 

見えるものが全てだと思うから、

泣いている現実をなんとかしたくなるのだろう。

 

 

でも、多分、特別に

何かをしてなくても、

 

お腹が空いたとか、

トイレが気持ち悪いとか、

どこかいたところがあるとか

その原因がある時の他に泣くときもある。

 

そういう時は、

 

ただただ、ぎゅーってしてたら

泣きやんだりすると思う。

 

ただただ、泣きたいから

ちょっと気長にそばにいて待っていたら、

落ち着いてきたりする。

 

 

そういう時って、あるじゃない。

 

 

その感情っていうのは、

赤ちゃんは素直に出せてるけども、

ただそれをしなくなっただけなのかもしれない。

 

 

大人になったからって

その感情がなくなったわけじゃない。

 

 

そのまま残っているのに、

素直に出さなくなっただけなのかもしれない。

 

 

出せなくなったのか。

 

 

人からの見え方を知ったり、

言葉が増えたり、

言い訳が増えたり、

隠そうとするようになったり。

 

 

 

 

言葉で解決するって

中々そこだけで終わることでもない気がする。

 

 

時間が必要であったり、

落ち着くまで待つ必要があったり、

ただ聞いてもらうだけで心が晴れてくることってある。

 

 

何かをして欲しい訳じゃなくて、

ただそこで待ってて欲しい時がある。

 

 

逆に言えば、そこで待っててくれれば、

ゆっくりだけども、

自分の時間の流れの中で

ちゃんと辿り着くことができるものなのかもしれない。

 

 

 

だから"待つ"っていうのは、

結構大切。

 

"待つ"っていうのは、

見えないものを信じてみないとできないことだから。

 

 

ある人は、

言葉を

待たずに、被せて怒っていたりする。

 

 

今、誰かの問題を

自分の時間の流れの中にいれて解決させようとする。

それは本当に解決なのだろうか…?

 

 

誰の問題になってしまったの、、、っていう

状況。

 

 

 

 

 

時間だって、

みえるようで、みえないものだ。

一緒のようで、一緒じゃないから。

 

ある人はとても流れが早かったりする。

ある人はゆっくりだったりする。

それは何かの基準があって

そう表現はできるけども、

どれも同じではない。

 

 

だれども、見えるものがそれを支配してると、

焦らせたり、

目に見える時間というものに囚われてキチキチと怒っていたりする。

 

 

 

それでいつも見に見えて、

言葉というもので攻撃されるのは、

目に見えないものも感じ取れる感覚がある人だ。

 

 

ある人は大らかに受け止めたり、

ある人はそれをマイペースだという言葉で片付けられたり、

ある人は自分で責めてしまって落ち込んでしまったりする。

 

 

 

 

できないからじゃなくて、

ちゃんとできているから

そうなっているのだ。

 

 

だから、そんな人たちに、

大丈夫だと言いたい。

 

 

それに気付きたいなあ。

 

 

押しつぶされそうになる感覚がわかるから。

葛藤があるから。

多分大らかに、受け止める器が大きくなっていくのだろう。

 

 

 

見えるものに支配されなくていいんだ。

大丈夫。

できる、できない、じゃない。

 

 

何かの基準に惑わされなくていい。

誰かの常識に振り回されなくていい。

 

 

ちゃんとわかってるはず、

自分のそれに。

自分の今のそれに。

 

素直に、進めばきっと、なるようになるよ。

 

 

 

わからないけど、

私もなんとなくわかる気がする。

だから

わからないけど、

そのまま進もうと思うのだ。

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

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