日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎なにもない、全部ある。

 

 

 

決めつけなければいいか。

決めつけなければ

思い込まなければ

きっともっと気持ちは楽だ。

 

 

 

これは

私自身の視点から見たもので

だからといって

押し付けるつもりはない。

 

 

 

いろんな現場を見ていて、

やはり

 

"調子にのる"

ってことは

 

これはそんなにいけないことなの??

 

 

 

って思ったりするんだ。

 

どこにいってもなんか

その言葉に違和感を覚える。

 

 

 

 

気になるのは

その"調子にのっている"と判断している

人の見方だ。

 

 

どの位置から見て、

そんなことを言うのだろう。

 

 

 

 

自分のやり方と違うから

それがその人にとって甘えに見えるから

相手が変わってしまうと。

 

自分のやり方はいつも正しいと見ているから

厳しいと

他のやり方はまだうまくできてないと見て

甘いんだと

言いたいのだろうが

 

 

厳しいのがなんだというのだ。

厳しいとか、甘やかすとか。

 

 

そういうのだ。

 

 

そういうのを重要としていない。

 

 

 

 

こどもを見ていてもそうだった。

 

 

わかったように"子育て"や"こう叱るべき"というものについて

語る人がそう言いがちである。

 

 

 

だいたいそれぞれに教え方や育み方は

違うものだろう。

 

役割があるのだ。

 

 

それを一定にこうだとしていされることが

多分私は気に入らないのだと思う。

 

 

 

それぞれに言い回しが違ったり、

援助の仕方が違うことで

時に相手にも

逃げ場も必要であるだろう

素直に自分の感情が言える人も必要であろう

厳しさを持ってるなら

その人がその立ち回りをすればいい

 

 

役割が違っているから

それぞれの役割があるから

それぞれに可能性を広げて

人が育っていくわけで

 

人がみんな同じ能力を持たなくてもいいだろう

同じものを持つことはそもそもないのだから

 

 

 

もう、

厳しいとか甘いとかの言い方で

そういうので

人に言葉がけをしているのではない。

 

 

そこまで正直色々と言われたくはない。

それはなぜかというと

多分自分がこだわりをそこにとても持っているからだ。

 

 

だけどもな

決めつけられることに

一々苛立っていても仕方がない。

 

 

その一面だけで判断されることは

すごく苛立つことだったりするけど

そこに執着してずっと怒っていても仕方がないのだ。

 

 

そこに文句をつけたところで

仕方ないのだ。

 

 

過ぎたことを気にしていても仕方ない。

 

 

 

 

ないものはない

言う人は言うし

そう見る人はそう見る

 

 

根本的なものは

変わらないんだ。

 

 

言わせておけばいいのだ。

自分は自分でこれと思う方に進めばいいのだ。

 

 

最初は色々しがらみが生まれるのだろう

でもやり続ければ

それが習慣になるのだ。

 

 

頑固である

自分はとても頑固なのだ。

自分こそ

やり方を人に合わせて変えようとはしない。

 

でもそれをわざわざ押し付けたりもしないさ。

 

 

誰かに何か言われたからといって

本当に自分がそうであるかは

別である

 

 

ただ目の前の人はそう言っているだけに

過ぎなくて

それでこちらにばかり

あーなってほしいだの

こーなってほしいだの

 

 

注文をつけているだけなのだから。

 

 

 

 

それは何故だというと

自分は完璧だと思っているからだ

自分は完全だから

変わる必要はないと思っているからだ

 

じゃあそれを相手にも同じように

思えばいいのに

許せばいいのに

それをしないのは、

自分だけが可愛いのだろう

 

 

それが難しいのである

 

相手にばかり

理想を求めるのである。

 

 

だから何かしら

人にいちゃもんをつけたがるんだ

 

自分よりも

ちょっとその人が出来ている事が

鼻に付くのだ

 

 

 

全く

何が楽しいのだろうか。

まあ、勝手にすればいいさ。

 

 

 

 

だがしかし、

もうそこに

自分は、

振り回されなくていいのだと

いうところが重要。

 

 

 

 

 

何をもって

あなたの思いを押し付けているのだろう

何をもって

人にあーだこーだを言うのだろう

 

 

自分が思っているように

相手だって

考える頭があるというのに。

 

相手だって

思いを持っているというのに。

 

 

 

それになぜ

大きさをつけたがる。

比べたがるの。

それを覆すかのように自分の主張を押し付けるのだろう。

 

 

 

 

 

大人だろうが

子どもだろうが

 

できることが多かろうが

少なかろうが

 

 

 

誰にもそんなこと言える権利などない

尊敬するしないとか

ここが気に入らないとかあそこが気に入らないとか

 

それはあなた自身の勝手な物差しであって

それを人に押し付けるほど

立派な人なんて

そんなもの立派じゃない。

 

 

 

それを言うことによって

人が変わると思っているのだろうか。

 

そんなに人の影響なんて強くないさ。

変えられるほど立派な人間なんてそういないさ。

 

 

 

 

 

受け取りたくもない

指図のような言葉を投げかけておいて

自分は言うばかりで何もしないで

それで相手を変えようという

それは小賢しい真似ではないだろうか

 

 

 

 

人によって

楽しい

楽しくないを

決められているならば

 

 

それはそういう人なのだから

気にしすぎる必要はない

 

 

 

こちらにすべて責任があると

捉えなくていい

楽しませようとしなくてもいいんだ

 

 

今の自分を

無理矢理に変えようとしなくてもいいんだ

 

 

 

自分でもっと楽しくすればいいだろう

人に楽しませてもらうとおもわず

自分が自ら楽しめばいいだろう

 

 

できることは

人を楽しませようとするよりも

自分が自分の力で楽しむことだ

 

 

 

 

わからないなら聞けばいい

遠慮なんてせず

その事について触れてしまえばいい

 

 

察しようとなんて

空気を読もうとしなくたって

 

 

いいんだね。

 

 

 

 

 

 

ぼっかーんて

何か込み上げるから

ここにぶちまいてみた。

 

 

都合よく物事を見てみた。

 

 

 

このごちゃごちゃした感情を

どこかにまとめたかっただけだ。

 

 

 

誰かしら

あるだろう。

でも

全て自分を責める必要はない。

 

自分が"変えていこうか"

と思うところからゆっくり変えていけばいい。

 

譲れることを増やしていけばいい。

 

 

 

 

なにもないのが

多分一番豊かなのであろう。

 

 

 

なんでもいいんだ。

 

 

何もなくていいじゃないか。

 

 

 

自分だけじゃなく

まわりばかりでなく

 

 

 

自分もまわりも

ハッピーでいられるように

今自分ができることを

こつこつとやっていこう。

 

 

できるなら面白がって、

笑いながら進んでいこう。

 

 

 

 

今日も、一歩。

 

 

 

 

 

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