日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎おわりはじまり。

 

 

人に会えたGW。

 

 

 

出会った場所や

会う目的は様々だったけども

あちこちに出掛けて

そこで会える人たちがいたのは

すごく有難いことだった。

 

 

 

そう感じるのも、

会いたいと思い、会いに行く人は

みんなみんな、あたたかかったから。

 

 

 

どこでも受け止める器のある人たち

ばかりだったから。

とても、ありがたかった。

 

 

 

 

 

 

人によって、在り方は様々で

どこを大切にしているかも違っていて

だから面白くて。

 

 

 

周りにいて下さる方々と関わって、

見ている中で

自分自信のクセやカタチが見えた部分もあった。

 

 

 

 


今回"おわりはじまり展"

をやるにあたって、わたしが選んだ写真たち

が表現したかったことは

"表と裏"

 

なんでもそれはあるんだけど、

どうあったって

美しかったりするなあというとこ。

 

 

 

 


私が美しいなと思って

撮ってるからなんだけど。

 

 

 

私はそのアンテナでそう見てたいから

そうなだけなんだけど。

 

 

 

 

 

 

光がよくて

影がわるい

みたいなことはなくて。

 

 

 

写真は両方ないと撮れないからね。

両方ないと写らないんだよね。

 

 

 

 

 

 

終わりがわるくて

はじまりがよい

みたいなのもなくて。

 

 

 

 

 

 

でもそこに気持ちが乗ってくるのは確かで。

でもそこでどう感じるかは

人それぞれで違ってて

大きさも違ってて。

 


それが、

それでよくて。

 

 

 

 


幸福だから良いとか

不幸だから悪いとかでもない

それは、

その人の、

見方、考え方次第なところでどうとでもなると思うから。

 


まわりがどうこう決めつける必要はないと思ってて。

 

 

 

 


写真でいうと、

誰がどういうファインダーを通して撮ったのか。

が写真に現れるんだけど。

 

 

 

それを通して

多分写し出す世界観も変わってくると思うんだ。

 

 

 

でもそれを見て、

どう感じるかは

なんでもよくて。

 


その人がそう思ってくれたのならば

それはとても、それで良いな〜と思うんだ。

 

 

 

感じて欲しいことがあれば

伝わりやすい方法を考えてやってみればいい。

 

 

 

 


そういう違いがあるから面白いじゃんね。

 

 

 

 

 

人は慣れてしまうと

自分とは違う価値観に

どうしても拒否を抱き、

自分の価値観を押し付けてしまうクセがある。

 

 

 

 


言わなくても

そう思うこともある。

 

 

でも中には、

無意識に相手に押し付けていても

違和感なく生きていける人もいるんだろう。

 

 


それでも自分は、

もう一歩引いてみたとき、

その人はその人で生きているのだから

それはそれでいいのか。

となることもある。

 

 

 

自分は物事の明るい方を見たほうが良い

と思っていても

必ずしも人がみんなそちらを向いたほうが良い

と言えるわけでもない。

 

 

 

そうしない人も沢山いるわけで。

でも生きてるわけで。

 

 

 

それが苦しいと感じることもあるかもしれないけど、

 


その苦しさが

 


それがアートになったり、

芸術になることだってあるのかもしれない。

 

 

 

そこの世界をみていることが

誰かを救うことになるのかもしれない。

 

 

 


だから、

暗いのが悪い

と決めつけるのも違う。

 

 

 

結局当事者が決めればいい。

選べるんだから。

 

 

 

やってることは

誰のせいでもなくて、

自分がそうしたいから

そうしてるだけなんだから。

 

 

 

 

 

闇の方ばかりを見てしまうというのも

全くなくそうとすることも

別に無理して

しなくてもいいことなのではないかと思う。

 

 

 

 


もがいてもいいんじゃない。

小説書けるかもよ。

波の多い人生でもいいんじゃない。

きっとどこかでそのスリルを求めてるのかも。

 

 

 


自分はそれを求めてはない。というだけ。

 

 

 

 


なにもせず、ぽーっと生きてたいな。

ってだけ。

 

 

 

 

 

 

"憧れ"はなりたい姿なのかもしれない

持っているものとは反対側にあるものなのかもしれない。

 

 

 

でも憧れたり、それが好きだな

そうやってみたいな

と思うのは

自分のどこかにそうできる

その要素があるからかもしれない

 

 

 

 


でも同じ人はいなくて

完全にそうなれる人はいなくて

どれも同じ型はなくて

 

 

 

 


憧れたり、好きだな、いいな

とする中の一つのなにかに

惹かれてるのかもしれない。

 

 

 

 


それが何かをわかって

そこだけに集中してった時に

自分の在りたい姿になっていくのかもしれない。

 

 

 


結構順応性の高いのが人間なのかな

とも思う。

いいなって思ったら

その人とかその環境に

ずっと一緒にいたらその要素が

入ってきてたりするのかもしれん。

全て勘違いなのかな。

 

 

 

持ってないことをやろうとする

沢山持っちゃう人は手放そうとするし

何にも持たない人はちょっと持ってみようとする

 

 

人と接点がない人は人と関わる場所にいこうとする

人と接点がありすぎる人は一人になりたがったりする

 

面白い。

 


結構それが楽しかったりするかも。

だからそれをしたがるのかも。

 

楽しくなかったらやめたらいいと思うんだがね。笑

 

 

 

 

成長、成長というのは

そんなにその時の自分が未熟だと思うからだろうか。

 

それは未熟かもしれない。

いや、いつまででも完全ではないけど。

 

 


今ある自分を

全て変えようとなんか

しなくていいと思うなぁ。

 

 

 

ま、変わらないけど。

 

 

むしろじゃあ変わらないことはなんだろう。

って見るのもありかなと。

 

 

変化はしていく、環境もそうだし、

いやでも変わっていくことはあるのだから。

 

 

"変わらないこと。"
それが自分の本質にあるものなのかもしれない。

 

 

 

 


目に見えるところばかり

動かそうとするんだけどさ

結局

自分の変わらないものをただ、自分で、

"それもいいね〜"って

言ってあげられる方がすぐ道がひらけたり

するのかとも思う。

 

 


それもいいよね〜。

 

 

 

 

GWを通して

大切にしたいものが見えた気がした。

 

 

 

見たいものを見るのか

見たくないものを見るのか。

どっちでもいいんだけど、

自分はどっちを見て生きたいのか。

 

 

 

見た上で

どう行動にうつしていくのか。

やれることなんてたぶんいくらでもあるんだろう。

 

 

 

惜しみなくやればいいか。

できることを、やりたいことを。

面倒と感じる前に

その大切なことのために

何ができるか考えてやってみることだ。

 

 

 

 


面白そうだ。

 


やってみたいなら、やってみよう。

できるときに、やってみよう。

 

 

 

 


方法は多分ひとつだけじゃない。

方法は多分いくらでもある。

それがひとつしかないと思い込むのは自分で

ひとつしかないことはないんだ。

 

 

 

 


"全てのことを解決できるアイデア"

そんな道が必ずあるはずなんだ。

 

 

 

 

 

 

 


やってみたいことは、やっていこう。

 

さ、おわりはじまり。

 

 

 

 

 

 

 

"おわりはじまり展"

沢山の方々にお越し頂けました。

お時間を作っていただき、

足を運んでいただき、

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

 


またどこかで。

 

 

 

 

 

 

 


今日も、一歩。

 

 

 

 

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