なにを目指して進んでるのかわからないけども
なぜ今のままで満足しながらも
別の世界を求めてしまうのかも
わからないのだけども
それについて考えるきっかけになった。
昨日3/16(土)はクラウドファンディングを活用して、
幸福度世界1位のフィジー🇫🇯へ行ってきた後藤なほちゃんの報告会へ。
幸福論。死生観。についてフィジアンはどのように考えてるか。の話を聞いた。
幸福度世界1位のフィジー。
物価は日本とほぼ同じ。
だけども給料は日本人の5分の1だそうだ。
家賃や生活費でその次給料は使い果たしてしまう。
余ったら家族のために使うことが多いそうだ。
それでも幸福度世界1位。
お金は少ないけども時間は余裕があって
家族との大切な時間があって
それを大切にできてて
今を楽しく生きているフィジアン。
なんでもシェア。
困ってる人がいたら助けるのが当たり前。
話を聞いていると
日本でも伝わっているような
おかげさま、おたがいさま
に似てるところがあるのかとも感じた。
それでもやはり日本とは違うところがあって
改善をしようとしない場面や新しいものを創り出さない。
日本は新しいものを取り入れて、新しい文化を創り出してきた国。
だけどもフィジアンはそれを新しく変えていこうとはしない風潮が強かったようで…。
他人任せ。今を生きている。
向上心がない。
新しいものを取り入れようとしない。
改善しない。
そういった点に
現地に行ったなほちゃんも疑問を抱いたらしい。
- 価値を置いている場所が違うのか。
大切だと重きを置いている場所が違うのだろうか。
大切なのは未来ではなく、今目の前。生きていることを楽しむこと。
家族やまわりの人との時間。コミュニケーションをとる時間。休む時間。
を大切にしているのか。
(仕事をしていても困っていると道案内をどこまでもしてくれたり、一日中車で案内してくれたり…というサービス精神旺盛なフィジアン。)
いや、この重きを置いている大切な部分は、
それぞれどの国でもどの人でも一緒なのかもしれない。
それが満たされることで幸福度は満たされるものなのかもしれない。
- あるものに目を向けて満足できている。
まわりにあるコミュニティで満足ができている。
お金に困っている人がいれば誰かが代わりに助けてくれる。
ないものはシェアをする。
自分たちで育てられる食料は自分たちで育てる。
そういったやりとりがあるので生きていける。
金銭的な厳しさがあってもそれが人との繋がりで解決できるものであるから
改善する必要がないのか…。
不満(欲)は限りなく出てくるもの。
だとすると。
不満(欲)を生み出さないフィジアンだからこそ幸福度が高いのかもしれない。
無のフラットな状態が一番幸福の状態なのかもしれない…。
フィジーの話を聞いていて、
のちのちの日本の状態も一方でこうなっていくのではないかと思った。
全体がそうはならなくても
この物質的な豊かさのある日本に生きている人は
本能的に気付いていくのではないかと思う。
なにが生きていく中での幸福であるのか。
生きやすい方向へ向かうにはどうしたらいいのか。
何が必要でなにが不必要なのか。
大切なことはそんなに沢山ないのかもしれない。
根本的な大切なことをよく見て、
それを守って生きていくこと。
日本だからこそ、また違う色で
それぞれが生きやすい未来を生み出していくこともできるのではと
思ったり。
未来は絶望ばかりではないはず。
どちらを創り出すのか
描くのかは自分次第な気がする。
いい時間でした。
今日も、一歩。