日々の"ほっこり" おかぴごと日記

人間らしく。愛と笑顔の明るい心で歩こう。

◎にほんらしさって。

 

 

昨日の寺子屋塾にて

日本らしさって  という話を聞いた。

言葉を正確に覚えるのが苦手なので

雰囲気だけ受け取った記憶の中では、

 

日本らしさって

曖昧なもので。

 

正確にこれが日本のものっていうものはない。

 

といった感じだったかな。

 

それが頭の隅に残ってて、

今日、お茶席に参加をしたのでそれについて

考えていた。

 

 

日本の文化としてあるものは

誰かが外から取り込んだものを

日本風にアレンジしたもの

日本風に創り出したもの に 感じる。

 

 

日本人というのも曖昧で。

 

でも日本という島国に生まれたことで

そこの中で平和に生きていられることで

 

昔のものが丁寧に受け継がれている面があって

でも逆に

昔の考えに固着してしまっている面もあって

 

中々変化だったり、新しいものが生まれてこない

まわりの国の流れに遅れていく

というのもあるのかもしれない。

外の世界に目が向く人が少ないと

思われるのかもしれない。

 

 

けども、

時代の流れを見てみると

そっくりそのままずっと同じ文化で

あることは多分なくて、

やっぱり変わっている部分があって

それは

日本という枠の中に生きている人の中にも、

いつの時代もその枠から飛び出して、

新しいものを取り入れる人がいたから

形を変えて今に残っているものがあるのだろう。

継がれてきているものがあるのだろう。

 

 

新しいものを取り入れて

"日本風"にアレンジすることが面白い。

取り入れたものを一回受け取って、

曖昧だけども、

"日本の文化"として

確立できる

確立している

それを"日本らしさ"として

世界に広める日本人は面白くて、

そんな"日本の文化"を今の時代まで

繋いできている日本人は面白い。

 

外の世界から新しいものを取り入れる人も

それをさらに新しいものとして創り出す人も

それに気付いて伝染させていく人も

常に目の前の生活に目を向けてそれを取り入れていく人も

いろんな人がいて

広がっていくのかもしれない。

今に伝わっているのかもしれない。

 

日本は遅いと、遅れていると言われる

部分もあるけども。

 

日本にいるから

ゆっくりと時間をかけて変わっていくことができるのかもしれない。

大切なことは大切なこととして残っていけるのかもしれない。

これから生きていく人たちに残していくことがあるのかもしれない。

そこにいる人たちに寄り添ったものが

新しく生まれていくのかもしれない。

絶妙なバランスで保たれているのかもしれない。

 

 

創造されたものは

受け取る側によって 良くも悪くも形を変える。

そのなかでまた誰かが新しく創造する。

受け継がれていくものはあって

残っていくものはあって

 

結局そこに生きている人たちにとって

"善いもの"が残っていくのだろうか。

"心地よいもの"が残っていくのだろうか。

 

四季がある国。

自然な変化を楽しもうとする国。

限られた中から楽しみを創り出せる国。

 

だからこそ、"日本ならではの独特の美学"が

うまれたのかも。

 

時間に余裕のある人たちが作り出した遊びの文化、間の文化。

お金に余裕のある人たちが作り出した豊かさを感じられる贅沢な文化。

生活を一生懸命にしている人たちが作り出した暮らしの知恵、文化。

豊富な言葉の表現がある文化。

 

形を変えながら

残っているもの

受け継がれているもの

限られた枠の中でも新しいものを生み出し

生活をより善いものにしていく工夫

手間を掛けて、時間を掛けて創り出すこと

 

それを個人だけで終わらせずに

善いものはまわりにも。とお互い様の考え方。

 

 

何が善いのか、違うのか、

すべてが曖昧な基準の中にあるものならば

結局善しと定義するのは

自分の基準でいいのかもしれない

 

 

どれを伝えていきたいのか

それぞれ違って当たり前なのだろう

それでも残っていくものは残っていくのだから

しっかり自分の目で見て、

本質だと思うものを捉えて、

感じたものを、伝えていければいいのかもしれない。

 

 

裏と表は何にでもあるのだから

どちらをみるか

どう捉えていくかは 

自分の生きやすい方でいいのではないかと

今はやっぱりそこに行きつく。

 

 

 

そこにいることで

今の恵まれている環境の中にいることで

できることがあって。

人として生きている中で、

自ら考えて動いていくことは何かに繋がって

いくんだろうなと。

 

 

考えられる頭があるのなら 

動ける体があるのなら

大切にしながら

惜しまずに使っていけばいいのかな

その時々楽しみながら歩んでいけばいいのかな。

 

 

最終的な満足を求めるのでなくて

日々の中に満たされるものはあって

歩んでいく時々でそれを見つけていく生き方にも価値はあるのかもしれない

 

 

 

自分でできることがあるのなら

まずはできるところから

自分でやっていこう。

 

 

 

 

今日も一歩。

 

 

 

 

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