自分のことなんて
知ろうとしなくちゃ全然知らなくて。
どんな感情なんだろとか
何が好きで何が苦手でとか
どんなことが長けていて
どんなことが欠けているのかとか
経験も必要だし
同時に素直な感情に気付くことも必要だし
本当に、毎日生きるだけで
忙しいのに
まわりの人たちはとっても頑張ってるんだなと思う。
そんな姿を見ていると、
わたしも緩やかに力を抜きながら
時にクッとお腹に力を入れて、
頑張ろう。と思ったりする。
相手に対して
イラっとしたり、責めたり、怒ったり、
それはやっぱり
自分の中で知らないことだったり
受け止めきれないことだったり
わかっていても見つめきれていない部分だったり
自分の受け取る分の心の余裕がなかったり
結局、自分にも原因はあるのかなと。
変えられることは
自分のことだけで
自分を見つめもしないで
周りを変えようとするのは不可能だ。
自分を責めても
それと同じようにまわりを責めてしまう
鏡だから
痛いところをつかれた時は
自分の中にタネがあると気付ける
良いタイミングなのかもしれない。
何かを言ったところで
すぐに変わるわけじゃない
その人はその人の時間を生きているのだから。
心地よさは自分で心地よくしなきゃ。
人に求めてるから
人に求められないと自信がなくなる
いいじゃん
自分で
いいじゃんそのままで
かっこわるくて
不器用で
できないことばっかりでもいいじゃん。
毎日何かしらやってて
好きなこと掘ってて
いろんな感情に気付いて
毎日何かしら生きてたら
見えてくるんじゃないかと思うんだ。
多分あるんだけど、
今は見えてないだけだと思うんだ。
自分でも探しながら
周りにも聴きながら
素直に受け取ってみたら
とりあえず、一回、素直に
ありがとうって
受け取ってみたら。
自分で自分を心地よく
自分のご機嫌は、自分でとるんだよ。
怒ってばっかりいても
人にあたってばっかりいても
誰かに嫉妬をしていても
ご機嫌にはなれないよね。
もっと心地よい場所を選べばいいよ。
挑戦したいなら、ちょっと苦しみたいなら、
そっちを選んだらいいよ。
どっちだっていいんだ。
自由に選べることなんだからさ。
自由に選んでいいんから。
絶対こうでなきゃいけないなんてこと
ないんだから。
はいも
いいえも
どっちを選んだっていいじゃん。
どっちを選んだって自由じゃん。
そんなもので
人を縛らないで。
そんなもので
自分を縛らないで。
最低限、
まわりの大切な人と笑い合いながら
くだらない会話をしながら
日々自分の中での学びを繰り返しながら
生きていけたらいいかなと。
今は思う。
贅沢なことに沢山プラスαがついてくる。
だから時には選んでいかないといけないのかもしれない。
時間が流れるんだから
何もしなければ衰えてくるし
老いてくる
何が起こるかなんてわからない。
予想外なことがおこるかもしれない。
すごくショックを受けるのかもしれない。
でもその時になってみないとわからない。
知らなければ
よかったこともあるかもしれないけど
知ったことで工夫できることもある
日々の中に取り入れられることもある
時に今の当たり前をぶち壊す必要もある
日々、今の常識をぶち壊したい思いもある。
その中で形を変えずに残っていくものは
必ずあって
それは当たり前として残したいもので。
当たり前として伝えていきたいことでもあって。
プラスαなんて沢山あって
豊かさなんて沢山ある
でも全部持っていくのは抱えきれない
選んでいいと思うんだ
本当に必要だなと思うもの
抵抗なく自然に習慣になれるもの
自分の流れにスムーズに取り込むもの。
今日の抱えているものが
明日には変わるかもしれないし
変わらないかもしれない
でもそんなものでいい
結局全部いつかは手放してしまうんだから。
先なんて、どうなるかわからないんだから。
今抱えられる分だけ
持ったらいい。
抱える分は自分で選択したらいい。
無理しない。
もう無理に変えようとしない。
勝手に変わっていくから。
今心がこうしたいと思うことに素直に。
こうなりたいと思うことに近づくための
一歩を今進める。
多分どうあったって
生きていられるなら未来はくるのだから。
いつだって当たり前にある生活はなくて
当たり前に生きていられるわけじゃないんだから。
忘れないように
しっかり留めよう。
忘れてしまうことを忘れないように。
今日も、一歩。